沼津産業振興プラザという所で

学生スタッフとして修行することになりました。

最初は週2で、朝から晩まで。


主に街づくりや産業育成をしているところです。


何人か学生スタッフがいます。


お掃除、イベントの機材の運搬の手伝いや、                                               事業のスケジュールチェック、ポスター貼りなどをしました。


自分のプロジェクトとしてあるイベントの企画を手伝う事になりました。


私が卒業するまで、ここのプラザで、                                                    いったい「何」を学び取るかがキーポイントです。


その課題はプロジェクトやイベントなどで多くの人々を巻き込み、                                 結果的に誰もが幸せになる仕組みづくりを身体で会得することです。                                 


あと半年、政治家を目指す上での長い様々な挑戦がまた始まります。

しまった!


ネットが使えない!


メッセンジャーをアップデートしたら私の無線ランが誤作動を。

業者さんに連絡しなきゃ。


このブログはマンガキッサで更新中です♪


明日が大学院の最終試験で面接です。

ドキドキ緊張中。


今日は大学に行っても面接の練習以外しかやる気が起きず

放心状態。


芝生の上でねっころび、本(TUESDAYS WITH MORRIE)を読んでました。

とっても芝生の上は気持ちいいですね。

まるで柔らかい布団のようです。


詩をふっと思いつきました。

空を見上げながら。


鳥は目の前を過ぎ去り、

蛾は目の前を過ぎ去り、

雲は吹き抜け、

軍用機は飛びだち、

風は深い秋を呼ぶ。



駄作ですいません。


今夜はいつもの勉強会でプロジェクトマネジメントについて

よさこい東海道のケーススタディとして学びました。


ビジネスだけではなく、人生論にも応用ができるのですね。


大学院入試の面接の練習をしました。


ご好意にして頂いている他大学の先生にお願いする事ができました。


 面接の練習を他大学でするのも、不思議な感じがするのですが、尊敬している先生が是非練習に付合って頂けるとのお約束をしてくれたので、先生が所属している他大学へ行って来ました。


何と!面接は豪華にも三対一です。先生以外に特別にもう2人の先生にも付合って頂きました。


しかも他の2人の先生はジャーナリストの方と人事院に勤めてらっしゃる方です(後で知りました)。


 たくさん耳の痛い事をご指摘して頂きました。もちろん批判されることが目的の練習ですから当たり前です。


 自分でも恥ずかしい限りなのですが、論文の日本語がなってないとか、英語の文法がなってなく幼稚だとか、面接で言われました。あと、志望動機の理由が全然なっていないとか。


 仰るとおりです。


 流石に専門分野の事は先生方は専門外なので深く追求はされませんでしたが、根本的な質問として、大学院に入って何をしたいのかとか、志望動機は何なのかと、本番さながらの中で詰問されました。

 

 ひどい緊張と不安、厳しい視線の中で、口がシドロモドロしてしまいました。先生方は相当のつわものですので。


 でも何とか終りました。いくつかの自分への疑問と課題を残して。


 疑問:①研究計画書が誤字やスジが通っていないと言われた。


 それでは提出する前の計画書をチェックして頂いた先生や友達は日本語力がなかったのだろうか(可能性ゼロ)?                                                                       それとも適当にチェックしただけ?(いやその可能性もほぼゼロだ)、                                     計画書は時間と場所の違いによって他人の思考力を変化させる(可能性ゼロ)?


 疑問:②英語のレポートでその文法が間違えまくり。

                                                                    もちろん、自分の英語能力の無さは痛感している。それではレポートを最終チェックしてくれた英語がすごくできる2人の友達も幼稚な語学力を持つ事になる。どこで間違ったのだろう?


 疑問:③誤字脱字だらけの論文で一次試験を突破させた希望している大学院について


適当に論文を採点していた(ほぼゼロ)?何かの事故で私の論文が通った(それもあるかな)?不合格ラインすれすれで通過(可能性アリ)?


 疑問:④何度も面接のシミュレーションをしたのに今日の模擬面接では全く活かされなかった。


答え明確→それは自己満足に陥っていた。頭の中だけの動作だけだった。紙に書き出すとか、実際に椅子に座って本番さながらの模擬演習をしてみるべきだった。


今後の課題

 ①論文にはそれを評価、チェックして頂く先生を何人か確保する。

 ②気が焦るばかりで、実は頭の中が明確に整理されていなかったので、一から想定される質問から答えられるようにする。つまり紙に書き出して、復唱し、友達に練習につきあってもらう。


 何故、この公共経営の大学院に入りたいのか?入って何をしたいのか?何故君は政治家を目指すのか?卒業後はどうするのか?


 今日の模擬面接で、緊張と不安によって根本的なことについて答えられない自分を見つけました。全てが準備不足。


 本番は弱点を克服して挑みます。








前回、京セラの稲盛和夫氏の講演会を聞いてきました。


演題は「人は何のために生きるのか」です。


事前に稲盛さんの本を7冊読んできました。                                                  講演内容は本の範囲内で語られている思想でした。


すごい。


73歳で明瞭な凄みがある口調でしゃべられるのですから。


生で見て、あれだけ威厳のある顔つきは20年間生きてきて、出逢った事

ありません。


しかしながら。もしかしたら、偽善者かも??って失礼ながら頭の片隅にありました。

とってもいい本を書きすぎていたからです。犯罪者と同じくらい偽善者はやっかいです。                        いい内容の本を書いているからって著者が高邁な思想どおりに生きている訳ではないっ                        て経験則から学んでいました。


一度、前例がありました。


真実しか述べていなければ超一流の生き様です。


創業した京セラやKDDIを人生の本質                                               において意味がないて仰っているのですから。


約一万人の聴講者の前で同じ事を話しました。

社会的な名誉や財産ではなくて、人生の目的は

魂を美しく高みにするだけだっと。


一万人の前です。


やはり本物の人間だと思います。


稲盛さんの著書で一番勉強になると思ったのは2あります。

一つは、最近ベストセラーになった「生き方」。

良く人生の原理原則がまとまっています。


二つ目は、「成功への情熱」。

買収した海外資本に京セラの企業理念を共有してもらう

ために書かれた内容です。




京セラ創業者の稲盛和夫氏の本を読んでいた。


明日の講演会を聞くためだ。

市立図書館からあるだけ借りて、7冊程

読んだ。


当初、こんな奇麗ごとを話していて、偽善者かでなければ、

一流の尊敬に値する人物のどちらかか、不審に思った。


だが、その疑念を考えるのをやめた。彼から学ぶにあたって

どちらでもいいのだからだ。


海外との提携や部下との議論、経営にあたって彼の原理原則

で判断を下している。


米国ではリーズナブル(正当である)っていう言葉が妥当するだろう。

社会的な常識や慣習ではなく自分自身の原理原則で判断する。


それは利己でなく、より大きな利他の精神。この事業で多くの人が

幸せになるのみで判断した。創業当初、会計や経営の素人だったにも                                       関わらず商業の慣習によらず、その倫理で事にあたった。


結果的に利益をあげた。


営利追求が自己目的化している資本主義の中で、右手にソロバン、左手に倫理(利他)

を主張しているのが私には特に心に残った。

布団はダニがいるからそこには眠れない。


今夜新宿で友達と飲んでいた。


静岡から2時間の距離だ。


久々にその友達と会った。


名前が分からないお店で、お好み焼きとお肉とドリンクの

飲み放題食べ放題。


二時間、一人2100円。


焼肉は久しぶりだ。

お店の中に充満している煙が、


一度入った事のある火事現場と同じくらい、

効果的に目を攻撃したけど、


それとは別になかなか満足するメニューだった。


名前が分からない友達。フルネームが言えるのは2名だけだ。


初めて会う人もいる。


それでも話題がハズム。


「今日の人間関係より明日の人間関係を信じて切磋琢磨する」


人は「新しい悪魔に遭うのを恐れて古い悪魔と付き合う」。


いや、ただ騒ぎたかったのかもしれない。


バカなことをしたっかたのだ。


頭が痒し。


朝まで騒ごうとしたけど、みんな一次会で「オサラバ」が多くて

つまらないので、帰ってきてしまった。


やれやれ。

ご報告が遅れました。


大学院の入試、一次試験突破いたしました。


早稲田、公共経営。


まだまだ、気を抜けませんが全力で二次試験に取り組みます。


ご報告が遅れました。


大学院の入試、一次試験突破いたしました。


早稲田、公共経営。


まだまだ、気を抜けませんが全力で二次試験に取り組みます。


懇意にして頂いている


歴史小説家の三戸岡先生に


「保科正之」の著書を頂いた。


彼は江戸時代の名君の一人で、徳川秀忠の隠し子であった。


家光の弟にあたり、よく彼を助け、家光の子の家綱の輔弼役として

君主をないがしろにせず忠孝に励んだ。


彼自身、若い頃からの不遇のためか、情に明るく、民に優しい政治を

した。


それは組織のキャスティングの成功例だろう。


彼は兄の家光によりその実直な性格と有能な能力を認められ、

兄を補佐し、影の将軍として能力を発揮した。


適材適所


保科正之の活躍


 性格  ひたむきに奉公して恩に報いる姿勢。四代将軍家綱の治世では朱子学の教え通りの
     仁の政治の体現者になるほどの傾倒ぶりだった。


 功績  戦国時代の気風が色濃く残る
     政治を文治主義の統治にベクトルを向けて徳川政権の基盤を確立に貢献した。


 能力 危機管理能力に秀で、大火や飢饉や世継ぎ騒動に素早く対応した。


 

例えば、家光の子の家綱の時代の災害対策では
        

明暦の大火 

       物価の上昇を抑えるにあたって、少しでも人口を減らすために幕臣を国元へ帰国させた。
       当時としては逆転の発想で画期的であった。江戸に緊急の事態が起こった時には諸藩が 
       急いで駆けつけて将軍を助けるのが常識であったからだ。
    
       緊急に十六万両もの大金を被災者救済のために使った

       天守閣も焼け落ちたが、江戸復興の際に再建はさせなかった。

       全て従来の発想と決別するものであり、武断政治から文治主義に基く時代の認識が
       彼の行動の判断基準となっていた。


さらに彼の功績としては、


戦国時代の武士としての最高の美徳とされてていた主君の死を追う殉死を禁止した。

大名証人(人質と妻や子供を江戸に住まわせる)の禁止、

末期養子の緩和など寛文の三大美事として水戸の徳川光圀と幕政を行った。


また、江戸幕府に先駆け会津若松では藩政を城代の保科民部正玄と執り行った。
  天災による飢饉から 社倉制度 を創設し餓死を無くした。
  自分も危うく水子にされかかったので 間引き を禁止した。
  90歳以上の者に終生 扶持米 を支給。
  救急医療制度を創設した。
その他、牛裂き、松明焙りなどの惨刑を禁じたり、身分を問わず学問を教える日本最初の郷校を作り、後の
藩校 日新舘を導いた。


当時は徳川幕府が天下を治めて約50年が経過した。それは現代の我々の戦後世代と同じである。

バブル崩壊後と同じく、社会が不安定化し、退廃していた。しかし社会の変革期にはこのような政治家が

現れ、改革をおこなった。

このような政治家は平成の世に現るだろうか?